「作品にならなかった写真」のこと

「よく撮れていると思うのだけれど作品にはなりようがない」写真というのが無数にあリます。作品の主題を下支えするために制作したり、技術的な主題の為の習作であったり理由は様々です。
※「作品」という言葉はいろいろな解釈をされますが、ここでは販売するプリントとそのデータを指して「作品」としています。この定義付けは人それぞれだと思うので、この文章の中限定で便宜的に使います。
最近では来月、東京で開催される美術展に出展する“Future assumptions are shaking(揺れる未来像)”という作品をつくりました。
主題や展示形態がすでに決まっていたのでステイトメント先行でつくってみました。
先に文章を書いて、それに合わせて写真を撮るという方法です。
制作期間は約半年、撮影を始めたのは7月中旬でした。
こんなふうに書くと、動画でも撮っているように思われるかもしれませんが、1枚の写真の話です。
この場合「文章で表現できないものは写真でも表現できない」ことを前提にして、とにかく主題に沿って思いつく限りの文章を書きます。
それから推敲と校正を繰り返して作品のスケールにあった文字数に収めていきます。
誤解されやすいのですが「文章で表現できないものは写真でも表現できない」と確信している訳でも主張している訳でもありません。(もちろん、その可能性は感じていますが…)
作品世界を支える主題(設定)の一つ、つまり技法としてそれを用いたのです。
文章が書けたら次に技術的な主題を考えます。
必ずしもそれが必要というわけではありませんが、できれば主題と技法を一致させたいのでそれも検討します。
一通り出揃ったらいよいよ撮影です。
被写体は何がいいのか? はこの時点で考えました。
候補としては花、魚、氷などがありましたが、時間経過を演出する必要があったので花にしました。
(魚は腐り、氷は溶けるので意図通りに管理するのが難しいと判断しました。)
被写体を決めるタイミングが遅くないか?と思うかもしれませんが、この作品では主題は背景に置かれているので、被写体はそれを伝わりやすくする役割しかありません。
作品の背景はほぼ真っ白ですから、とても重要ですが役割としては副次的なものです。
美術作品として扱われる写真を目指す場合、主題や作品世界の強度、技法の選択理由など多くの考察を求められます。
「なんかいいのできちゃた」ではダメなのです。
販売される以上それは評価の対象になることなので、評価するための情報は要求されます。そして作品自体は当然ですが、情報の質もより良いものを用意できればベターです。
だからそういった事柄も全力で取り組みます。自分の写真を美術作品として扱ってもらうのですから当然です。
その過程で素材写真、資料写真、記録写真等々、たくさんの写真を撮っています。
作品自体にはならないけれど、全力で撮った写真です。
こんなふうに「作品にならなかった写真」が、生まれて来ます。
追記
展示(10月末まで)が終わるまでこの作品の画像公開ができないので11月になったら更新致します。